『ガレージ・インストロケンロー』。
何とも妙な響きだが、これにはデトロイト兄弟なりのこだわりがある。リーダーのデトロイトアクツ曰く、「すんげえカッコいいフレーズの前奏があって、『キミが〜ボクを〜♪』みたいな甘ぁ〜い歌詞とか乗せちゃって、『俺たちロックバンドでぇ〜す!』みたいなのはイヤなんです。俺達はあくまでも『歌謡曲』じゃなくて『ロケンロー』を演りたいんですよ! だから、意味のある歌詞らしい歌詞は基本的に無いんです。音に乗せた時にキモチイイ言葉とか曲のテーマとかを連呼するだけで(笑)。あと、前向きに言うと、言葉の壁がない訳だから、当然アメリカでも日本でも、世界中でも通用しますしね(笑)。」

いつも攻撃的にロックしていたい。
もともとは、イギリスやアメリカのガレージ系バンドやストレイキャッツなどのネオ・ロカビリーが好きなデトロイト・アクツが、ガレージバンドのアルバムや7インチシングルのB面などに肩身が狭く収録されているインスト曲が特に大好きで、そういうのばかりを演るバンドをやりたくて始めたバンド。デトロイト兄弟の名付け親である、ザ・サーフ・コースターズの中シゲヲとの出逢いも手伝って、当初はリバーブをかけたガレージ・サーフ色が強かったが、ライヴをこなし、リズム隊のメンバーチェンジを経て、現在のような攻撃的な音に変化することとなる。

「何で歌がないの?ってよく聞かれるんです。ベンチャーズとかをルーツにしてるならみんな納得するんでしょうけど、僕自身はベンチャーズからそんなに影響は受けてないです。まぁ、嫌いじゃないですけど(笑)。インストバンドって日本にも結構あるじゃないですか。中ちゃん(中シゲヲ)のサーフ・コースターズもそうだし、スイッチトラウトとかスカパラとか。あとは初期のYMOとか。それに、女子十二楽坊とか吉田兄弟とか(笑)。デトロイト兄弟のルーツは初期のリンク・レイですね。でも、演っていくうちに発展して来ちゃった感じで。最近は映画のサントラ盤みたいなバンドをやりたいって思ってます。ルパン三世とか太陽にほえろ!とかのサントラ盤って基本インストじゃないですか。だからこれは毎回思ってたことなんですけど、『キャデラック』にしても、『ヒット・ミー』にしても、そのアルバムタイトルの映画があったとして、そのサントラ盤みたいな感じで作ってたんです。音もジャケットデザインも。サントラ盤だって言うと、歌が無くてもみんな納得してくれるみたいだし(笑)。そこから『Dirty Money』の構想ができたんです。歌詞が無い分、聴く人によってイメージがそれぞれ違うと思うから、デトロイト兄弟の曲を聴いただけでその人が思い浮かべる場面のイメージがバーッと膨らむようになれば、それは面白いなと。『Dirty Money』は完全にサントラ盤として作ったから、主題歌がなきゃいけないとか、挿入歌がなきゃだめだとか、エンドロールの曲はこれだなとか、場面のシチュエーションによって曲作りやアレンジをするのがすごく楽しかった。かといってデトロイト兄弟として歌モノを本格的にやるつもりは無いんですけどね。。。ライヴの演出上、カバーとか演ることはこれからも絶対あるんですけど。。。『本格的』には無いですね。やっぱり胸を張って『インストバンド』って言いたいですね。」

インタビュー記事より抜粋。

The History of Detroit Bros.
1999 8 米国刑務所で知り合ったデトロイト・アクツとデトロイト・ハタケヤマ、初のスタジオ入り。
1999 12 デトロイト・ハタケヤマの友人であるデトロイト・ニュウタ、デトロイト・イトーが加入。
2000 1 デトロイト・アクツがミレニアムパーティーを開催。渋谷On Air Nestで初ライヴ(ゲストはザ・サーフ・コースターズ)
2000 5 バンド名が「デトロイト兄弟」となり、三軒茶屋にてライヴ。
2000 7 リハーサルスタジオにて6時間で13曲を一発録りしたデモCD「Murdered by the Surf Music」(現在廃盤)をリリース。ザ・サーフ・コースターズの中シゲヲ氏がゲスト参加するという奇跡が起こる。
2001 7 オムニバス盤「宅録・サーフ・パーティ」にデトロイト・アクツが宅録打ち込みで作った曲「Speed Freak Witch」でソロ参加。CDには他に加山雄三、中シゲヲらビッグネームが参加。
ザ・サーフ・コースターズのニューアルバム「EASTER!!」レコ発ライヴのオープニングアクトをつとめさせていただく。
2001 10 デトロイト兄弟がホスト役となるイベント「デトロイト・ロック・シティ」開始。
数回ライヴにパーカッションとしてゲスト参加していたヨーコ・デトロイトが正式加入し、デトロイト・ヨーコとなる。
2002 9 ザ・サーフ・コースターズの中シゲヲを共同プロデューサーに迎え、完全自主制作にてミニアルバム「デトロイト・キャデラック」をリリース。
レコ発ライヴを下北沢で行い、中シゲヲ&ザ・デトロイト・ロッカーズ初登場。
2003 1
デトロイト兄弟、日本では初の東京以外でのライヴを行う。
このデトロイト兄弟と中シゲヲ&ザ・デトロイト・ロッカーズでの九州ツアーを最後に、デトロイト・ニュウタ、デトロイト・イトー脱退。
そして、かつてデトロイト・ハタケヤマの米国での囚人仲間だったデトロイト・シークラスが加入。
続いて、米国でデトロイト・アクツが刑務所で同室だったデトロイト・ジョンソンが加入。
2003 4 新メンバーでレコーディング開始。2日間で12曲をスピードレコーディング。
2003 7 レコーディングした曲のミックス作業。バーレスクエンジンのコハ・ラ・スマート氏がブルースハープでゲスト参加するという奇跡が起こる。
2003 9 天才デザイナーであるデトロイト・アクツによるCDジャケットのデザインが3種類できたしまったため、完全自主制作にて三ヶ月連続ミニアルバムをリリースすることに。
マンスリーリリース第一弾「Hit Me If You Can」リリース。
ワールドツアー2003「ギヴ・ミー・ヴァイタミン・ツアー」スタート。
2003 10 マンスリーリリース第二弾「Run & Hide」リリース。
2003 11 マンスリーリリース第三弾カバー曲集「Detroit Bros. Tokyo Sessions」リリース。
2003 12 「ギヴ・ミー・ヴァイタミン・ツアー」の最終公演後、デトロイト・ヨーコが謎のアジア人に拉致されてしまう。行方不明のため、デトロイト・ヨーコ脱退。
2004 3 ニューアルバムの構想が決まり、タイトルは「Dirty Money」となる。
2004 5 ザ・サーフ・コースターズの10周年記念イベントに出演。このライヴを観に行くのではなく、出演できたことはデトロイト兄弟の歴史上、大変光栄なことであった。
2004 9 ワールドツアー2004、日本では行わず。「Dirty Money」のレコーディングのため日本へ。プロデューサー兼ゲストミュージシャンである中シゲヲとオフィシャルフォトグラファーのシバタエリを大分に招き、愛弟子であるグリニッヂ横丁の計らいでスペシャルライヴを行う。
2004 12 「DIrty Money」のレコーディング作業を東京で再開するが、完成せず。
2005 10 東京新宿のパブ「Smorkin' Boogie」でのライヴ。日本でのホームグラウンドと認定。以後、不定期ながらも頻繁に来日し、ライヴを行うようになる。
2005 12 デトロイト兄弟の2005年忘年会を開催。
ジャッキー&ザ・セドリックスのロッキン・エノッキーを新宿スモーキンブギに招き、セッションライヴ。
2006 4 「Smorkin' Boogie」のアニバーサリーライヴに出演。
また、別日に中シゲヲ&ザ・デトロイト・ロッカーズのライヴを行う。中シゲヲ伝説の「目隠しミザルー」はここが初めて。
2006 8 「Dirty Money」レコーディング完了。ミックスはデトロイト・アクツが自宅で行う。ミックス時のデトロイト・アクツの睡眠時間は1週間で4時間。
2006 9 アルバム「Dirty Money」ついに完成。
デトロイト・シークラスが改名。デトロイト・マスター(師匠)となる。
デトロイト・アクツとデトロイト・ジョンソンは「中シゲヲグループ(第一期)」のバックバンドとして札幌にてライヴ。
ワールドツアー2006「Dirty Money Tour」を行う。日本では台風13号の脅威にさらされながら、中シゲヲグループと、愛弟子であるグリニッヂ横丁と福岡のTHE WHYsと共に福岡と大分でライヴ。
東京でのツアーファイナルライヴはツアー中に急遽亡くなったデトロイト・アクツの父親の追悼ライヴとなる。中シゲヲは封印されていた「目隠しミザルー」を故人のためにこの日だけ解禁。
2006 12 デトロイト兄弟の2006年忘年会を開催。
大分より愛弟子であるグリニッヂ横丁を新宿スモーキンブギに招き、オールナイトでライヴ。
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